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江戸時代あたりからのことわざです。
とりあえず説明すると、
1.風が吹くと土ぼこりが立ち、目に入って盲人が増える。
2.盲人になると三味線を買う(当時は三味線は盲人が弾くものだった)
3.三味線に猫皮が必要で猫が殺される。
4.猫が減るとねずみが増えて、ねずみは桶をかじる。
5.桶を買い換える人が増え、桶屋が儲かる。
ことわざの内容自体は時代を感じるものがありますが、その意義というのは、ものごとは思わぬところから影響を受けて繋がっているものだ、と僕は思ってます。
このことわざはそういう意味の例えだから、実際はほとんどありえないようなことでしょう。でも、みなさん思わぬことから問題が解決したり、そういう場面に出くわして驚いたことないですか?
それはつまり、物事を時間の流れと同じように捉えるからそう感じることで、時間を遡って考えると、案外そうなるように自分が行動していたのじゃないかと思うこともあります。
例えば、僕は入学当初、自分がまさかWANに入るとは思ってもいませんでした。それはWANに入ったことだけを見てるだけであって、逆に見てみると、T君に出会ったからWANに入れたわけで、T君に出会うのには今の大学を選ばなければいけないわけで、今の大学を選んだのは親やその他の人の助言があったわけで。
なんだかんだで、知らないうちに僕はWANに入るために今まで行動してきたことになります。するとつまり、今まで偶然と思ってたことは、案外必然的な事象と捉えることができるのです。
それじゃあ今、無意味だと思っていることも将来的には何か意味を成すものになっているかもしれない。また、昔あったことが今なにかしら役に立つかもしれない。全くの無関係と考えるのはもったいないですよね。
今回は抽象的になってしまいましたね。最後は僕なりの桶屋が儲かるをどうぞ
1.風が吹くとボールがよく曲がる。
2.三振が増えて試合が早く終わる。
3.勝ったチームのサポーター大盛り上がり。
4.「早く帰れたし、ふんぱつして出前でもとるか」
5.出前寿司注文殺到
6.寿司を入れる桶が足りなくなり、桶屋が儲かる。
う〜ん、いまいち
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コメント
しかし、村上さんのおっしゃる通り、想像もしなかった出来事でも、そうなるように行動しているんですよね。う〜ん、不思議。
ご縁も大切にしたいものです。
確かに、WANに出会えたのも回り回った運命なのかもしれない☆☆
逆に言えば、何かしないと何も変わらないのかもしれないデスね。
「無駄」と思ってしまうのは、その「無駄」を生かそうとしていない、ただの言い訳です。
村上君、頑張って!ものすごく期待しています。
1年間WANにいた経験を活かして、周りのみんなをうまくリードしていってあげてください。